2012年7月2日月曜日

「関東郡代伊奈氏の200年」歴史研究を始めます


*最新の歴史調査団の活動は右側のラベル「進め!歴史調査団―伊奈氏編」か下のURLクリックしてくださいをクリックしてください。

「進め!歴史調査団」 
http://araijyuku.blogspot.jp/search/label/%E9%80%B2%E3%82%81%EF%BC%81%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%9B%A3%E2%80%95%E4%BC%8A%E5%A5%88%E6%B0%8F%E7%B7%A8

「関東郡代伊奈氏の200年」各小冊子は下記の新ホームページをご覧ください。
http://araijuku2011.jp/inasi01/



新井宿在住、および川口市民の皆さま。この凛々しい姿のお侍が誰かご存知でしょうか?ご存知の方は相当な郷土史通ですね。しかし、本来は多くの市民が知っていて当然の立派な代官なのです。
この人は江戸時代前期・中期に代々関東郡代を世襲した伊奈家の7代目、伊奈半左エ門忠順(ただのぶ)という人です。ちなみに代官とは勘定奉行の配下で、幕府の直轄領を将軍に変わって統治する役人です。郡代は同じ代官ですが各地に散らばる幕府の直轄領をまとめて支配する役職で、担当地域が広く代官が5~10万石くらいで、郡代は10万石以上になります。その中でも関東郡代は30~40万石ぐらいあり、実力、格式から言ったら大大名に匹敵する強大な権力をもっていました。伊奈家は代々治水・利水、新田開発などに優れた業績を残しており幕府の信頼も厚く、それ故関東郡代という重責の世襲を認められていました。

赤山城跡碑

新井宿駅を東に20分ぐらい歩くと県指定史跡の赤山城跡がありますが、ここに関東郡代伊奈家の陣屋(城)がありました。川口市の北部・東部は赤山領といって伊奈家の所領で、赤山陣屋は赤山領の在地支配と家臣屋敷、関東郡代としての代官所という機能を持った、関東郡代伊奈家の心臓部ともいうべき拠点でした。
 この赤山陣屋と関東郡代伊奈家を調べようということでAGCが歴史研究をすることになりました。調査の様子はその都度ブログで紹介していきますが、それとは別に「関東郡代伊奈氏の200年」というタイトルでHPに新しいページをつくって連載していくことになりましたのでよろしくお願いします。

 ところで冒頭の忠順の像は川口市にあるのではありません。静岡県小山町にあります。なぜ静岡県に? 下は冒頭の忠順像がある静岡県小山町須走の伊奈神社にある神社由来の石誌。

御厨の父 伊奈半左エ門忠順公の治績

伊奈忠順と宝永噴火のはなし

 宝永4年(1707年)11月23日。富士山は620年ぶりに有史以来最大級の噴火をしました。噴火は16日間続き、大量の火山灰を富士山東麓および江戸にまで降らせました。特に富士東麓の御厨地方(小山町、御殿場市、裾野市の一部)は山林、家屋、田畑、河川・用水すべてが大量の砂に埋もれ壊滅的な打撃を受けました。当地支配の小田原藩は早々に復興をあきらめこの地を幕府に返上してしまいます。幕府はこの御厨地方と足柄上郡、下郡の支配と復興を関東郡代伊奈忠順に兼務させます。しかし、幕府も被災地の復興には全く消極的で、そればかりかそれを政争の具にするようなありさまでした。
そんな中寝食を忘れて孤軍奮闘する忠順でしたが、復興は困難を極めた。特に降砂が深刻だった御厨地方では逃散するもの餓死するものが続出し、悲惨な状況になっていました。忠順はこの状況を座視できず、幕府の貯蔵米がある駿府の米蔵を、掟を破って独断で開き、窮民に分配してしまいます。やがてこの件が幕府に知れ、役を解任されると忠順は翌年正徳2年(1712年)2月29日に急死します。一説によると。責任を取って切腹したと伝えられています。
復興の道はその後長きにわたって続きますが、御厨地方ではこの恩義を代々伝え、忠順は“御厨の父”として当地で不忘の人となりました。そして慶応3年(1867)有志により小祠を建立、明治11年(1878)吉久保水神社と須走立山中腹上真地に小祠を建立、明治40年(1907)須走字西ノ沢王子ケ池に伊奈神社を建立しました。更に昭和三十二年十月七日に小山町須走字下原に移され現在に至っている。


伊奈家の歴史を研究するというのはAGCでは以前から検討されていましたが、何分にも素人ということと、調査地域が関東一円と広大で、しかも伊奈家に関しては資料が少ないと言われていて、到底我々では無理!と認識していました。しかし、自分たちの地元のことだし、そこでまちおこしをしている我々が取り上げないわけにはいかない。しかも今年は伊奈忠順の没後300年にあたる。先人の偉業善行に対し拙くとも敬意をもって取り組もう。と衆議一決し、忠順の件を手始めに伊奈200年の歴史を調べることになりました。
 何年かかるのか?途中で挫折するのでは?という懸念はありますが、熱が冷めないうちにスタートしちゃえ!ということで早速忠順ゆかりの静岡県の御厨地方に調査団を派遣することになりました。そういうわけで。
 

次回、「伊奈忠順と宝永噴火をめぐる旅」

第1回御厨調査団レポートをお待ちください。

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