2013年5月27日月曜日

伊奈氏研究―第1回水戸調査団報告

今年の伊奈氏の200年研究は「利根川東遷史」を主に進めています。利根川東遷は伊奈氏3代(忠次・忠治・忠克)が60年をかけ、江戸湾に注いでいた利根川を全く別の鬼怒川水系まで繋ぎ、銚子で太平洋に流すという江戸時代最大の国家プロジェクトです。研究班の活動も2年目にして最大のテーマに挑戦することになりました。
それだけに埼玉県、茨城県、千葉県にまたがる広大な地域を調べなければならず、はたして秋までにまとまるかどうか心配です。
 
今回は秋のバスツアーの下見を兼ねるため、東遷事業とは関係ない初代忠次開削の水戸備前掘も調査に加えました。今年の秋のバスツアーは、去年のバスツアーのような観光地でもあった富士山東麓とは違い、まじめにやると川とダムばかり眺めるツアーになってしまうので、後半に風光明媚な水戸観光を入れることにしました。水戸は初代忠次が人生最後の仕事として、成立間もない水戸藩の国づくりのお手伝いをした地です。慶長15年(1610年)千波湖の洪水対策と、水戸市南東部の農業用水とを兼ねた備前掘りが今も現役で残っています。果たしてバスツアーまでに忠次・忠治の胸中にどこまで迫れるか?いよいよ今年の調査団が始まりました。
 
5月25日AM8:00
 
新井宿駅で友達と合流。今回はまちづくりメンバーが誰も行けないため、無理行って無関係な友達に付き合ってもらいました。調査団と名乗っているのが苦しい。
 
一行(2人)は最初の目的地関宿を目指して国道4号線を北上する。道は空いていたので1時間で利根川と江戸川の分岐点に建つ関宿城博物館に到着する。

千葉県立関宿城博物館。利根・江戸川分岐点の高台にそびえるお城の博物館

関宿城博物館の正門。


関宿城は代々譜代大名が治めた関宿藩の城。江戸川の開削で利根川水運の最重要拠点になったため、関宿藩の藩主は代々幕府の要職の人がついた。中期以降は久世氏が世襲した。

蛇籠。河川工事の際このかごに石を詰めて沈めて流れを変えたり弱めたりしたそうです。

関宿城の上空からの写真。光ってわかりにくいので画像をクリックして拡大で見てください。

館内を入って上記の写真があったので早速フラッシュを炊くと、係員が飛んできて「館内の写真撮影は禁止です」と怒られる。そうでした。

上記のことがあり、残念ながら館内の様子はご紹介できないが、利根川東遷事業について詳しく解説してあった。また、利根川の水運についてもでかい高瀬舟の模型などを使って解説してある。もちろん伊奈忠次・忠治親子も地元の貢献者として紹介していた。

関宿城の屋上は展望台になっていて、富士山や筑波山が見えるそうです。写真は北側に見える分岐点。右側が利根川本流。左が江戸川。この大河を人力で掘ったのかと思うと江戸時代の人々の偉大さがわかる。

AM11:00

関宿城を後にして、次の目的地の福岡堰に向かう。埼玉県東部もそうですが、茨城県に入ると全く平坦な地形ばかりになる。鬼怒川などの河川が氾濫すると水が排水されずにそのまま湿原や沼沢地になったであろうことが容易に見て取れる。手賀沼や印旛沼、牛久沼はその名残だろう。

次の目的地、茨城県つくばみらい市の小貝川にある福岡堰さくら公園に到着。

福岡堰さくら公園。ここの駐車場に車を止める。大型バスの駐車場もある

駐車場から歩いてすぐのところにある関東3大堰(ダム)のひとつ福岡堰。

福岡堰は寛永6・7年(1629.30年)に忠治おこなった鬼怒川と小貝川の切り離し工事の後、干拓された谷和原領3万石の用水を確保するために造られた山田沼堰が起源とされる。当時、鬼怒川と小貝川はつくばみらい市の寺畑付近で合流しその下流域を広大な湿地帯にしていた。忠治はこの2川を分離し鬼怒川を大地を掘り進んで常陸川(その後の利根川)の30㎞上流に流し、小貝川もその下流の大地を開削し、常陸川に合流させた。この工事の結果広大な湿地帯は水田に代わり、また新たに設けられた山田沼堰と豊田堰、岡堰によって、谷和原領3万石、相馬領(取手市)2万石を潤した。
その忠治の功績をたたえて建てられたのが、福岡堰のほとりにある伊奈神社。


伊奈神社。毎年用水流し初めの4月18日に例祭を行っているという。福岡堰を見下ろしひっそりと建っている。

堰上の道路。
 
福岡堰の由来の案内板。ちなみにつくばみらい市は谷和原村と伊奈町が合併してできた市でどちらも旧谷和原領。伊奈町はもちろん伊奈忠治が名前の由来。埼玉県の伊奈町は父の忠次に由来する。親子で地名になるって他にないんじゃないかな?
 
堰から取水した用水路。桜並木が美しい。
 
 
PM12:30
 
11:30に桜公園を後にし、昼飯を食いに一路茨城町のポケットファームへ。ここからは谷田部ICから常磐道に乗る。岩間ICで降りて20分くらいでポケットファームに着く。
 
ポケットファーム。込み合っていて臨時駐車場が解放されていた。

正式にはポケットファームどきどきという。拡大してみるとわかるが、いろんな施設がある。


我々の目的はあくまで昼食調査、ここには写真のバーベキューとブッフェ式のレストランの他、軽食コーナーや焼き立てピザのコーナーもある。

生鮮売場の後ろにある「森の家庭料理レストラン」ここに食べに来た。

この森の家庭料理レストランは大人気らしく、順番待ちで行列ができている。12:30に受付したが1時間待ちでお願いしますということだった。しかたがないので園内をくまなく探索することとする。
生鮮市場
特売所とイベント広場
バーベキュー場
ブタもいる
ミニブタショーも始まった。いい暇つぶしになった。

そしていよいよ森の家庭料理レストランに入場。

バイキング形式で1人1800円。味はどうかな?

サラダ、惣菜、揚げ物、果物なんでもある
 
お茶、コーヒーのコーナー。その向こうにはアイスのコーナーが。

友人と二人で夢中で食いまくること1時間。我を忘れるとはこのことだ。何がうまいって、野菜、肉、素材がすべていい。そして何か上品というかやさしい味付け。次々新しい料理が出てくるのも楽しい。これはぜひツアーに加えたい。友人も太鼓腹を押した。これで1800円は安いかもしれない。最後に食ったかぼちゃとにんじんのアイスクリームうまかった~。

PM3:15
美食を堪能して活力を取り戻した一行(2人)は、いよいよ水戸に向かう。国道6号線を北上し、県道179号線に入り、国道51号線に突き当たり左折するとそこは水戸市柳町とか城南というところ。その辺のパーキングに駐車すると目的の備前掘りを探す。あった。
綺麗に整備されている。遊歩道も趣向を凝らしていて美しい。水戸新八景に選ばれるだけある。

備前掘りの起点、桜川取水口

取水口そばにある伊奈神社。小さい。
 

遊歩道と隣接する公園。
毎年8月には盛大に灯篭流しが行われるそうな。

水戸市商工会のHPから画像を拝借。いやー、見に行きたいな。

取水口から歩くこと10分。忠次公の銅像発見。かなり若い感じがする。


備前掘りの由来によると、慶長15年(1610年)幕府も命で水戸藩に来た忠次は、検地(備前検地)し、この備前掘りを開削するなど、成立間もない水戸藩の藩政に寄与した。備前掘りは城東21か村の農業用水となって米の増産を助け、また、当時の千波湖の増水は下町に大きな被害を与えていたので、この堀は治水と利水を兼ねて今日まで恩恵を与えている。とある。伊奈備前守忠次は当時61歳。この年に没している。つまり備前掘りは忠次の最後の仕事となった。

PM4:00

備前掘りを後にし、偕楽園に立ち寄る。

偕楽園東門

仙奕台から千波湖を望む
徳川斉昭によって建てられた好文亭
偕楽園の休息所として造られる
好文亭は梅の木の異名である好文木に由来する
3階の楽寿楼からの眺望
 
偕楽園は言わずと知れた日本3名園の一つ。天保13年(1842年)水戸藩9代藩主水戸斉昭公によって造営される。梅祭りで有名。ちなみに千波湖公園とあわせると、面積は300haで、都市公園としてはニューヨークのセントラルパークに次いで世界第2位の広さだという。知らなかった。
 
PM5:00
 
千波湖公園西側有料駐車場に寄る。しばらく湖畔を眺めて帰路に着く。
 
千波湖。江戸時代は今の3倍の面積だったそうな
ハクチョウがいっぱいいる

水戸黄門の銅像。でっかい!
 
関八州に伊奈の汗の落ちてないところはないという。忠次・忠治親子の人生は多忙を極めた。また、苦難の連続で失敗も多かった。しかし、親子2代にわたり民のために、新時代建設のためにという信念を貫き通した生き様は、代々伊奈家の家風となり、子孫もまたそのよき精神を受け継いでいく。忠次・忠治の残した業績の最も価値あるものはじつはこの精神・生き様そのものだったのかもしれない。
 
秋のバスツアーは11月に予定しています。今回の下見調査は大変参考になりました。川口の歴史を知るために外に出る。そうすることによって、関東の、日本の中の川口というものがわかると思います。川口は川口だけでは成立していないのです。今年のツアーも意義深いものになるように、さらに研究調査してまいりますので、楽しみにしてください。
 
以上、第1回水戸調査団報告でした。