2013年12月24日火曜日

関東郡代伊奈氏の200年小冊子第2弾、第3弾同時完成!

 このたび、AGC歴史調査団「関東郡代伊奈家の200年」研究班は、1年の研究成果をまとめた小冊子を2冊同時で完成することが出来ました。謹んでアップさせていただきますので、多くの市民の方にご覧いただければ幸いです。

「伊奈忠次・忠治父子の物語」「伊奈家頌徳碑文集」
 

 
*下記URLをクリックしてください。新しいホームページに飛びます。そこに各小冊子のアイコンがありますのでクリックしてください。ダウンロード、印刷もできます。
 
新井宿駅と地域まちづくり協議会の新ホームページ
 
 

 
 
 
 



 歴史調査団も2年目を迎えて最大のテーマに挑戦しました。「利根川東遷」は400年にわたる首都(江戸東京)の成立を決定づけた日本史上屈指の土木事業ですが、なぜか川口市民は知りません。伊奈家の本拠赤山領があった川口市にしてこれですから、全国でこの偉業を知る人は皆無といってよいでしょう。
 
羽生市川俣の会の川の締切地点。ここから利根川東遷は始まる
 
 
 調査団はこの理由を、このテーマは難しくてとっつきにくいからだと結論しました。色々な書籍資料がありますが、一読してわかるものがないからです。そこで東遷事業の背景を、事業の発案者&責任者&施工者であった伊奈忠次・忠治父子の生涯に沿って解説することにしました。
 
               伊奈忠次像        伊奈忠治像
 
 伊奈忠次は初代の関東郡代。徳川家康の絶大なる信頼の下、関東開発のグランドデザインを描き、その後の幕府の行財政の基礎を作りました。また、多くの治水事業、各地で殖産興業を奨励するなど関東農民から神仏のように扱われていたと言います。

水戸備前掘
 
 伊奈忠治は第3代関東郡代。父忠次の遺志を受け継ぎ、江戸時代最大の事業の利根川東遷に取り組みほぼ完成にこぎつけた偉人です。この事業によって江戸は水害を免れ、耕作可能地は拡大し(武蔵国だけで石高は倍増しました)、江戸と関東東北を結んだ巨大水運網は江戸の拡大と関東の諸産業の発展を招来しました。
 
忠治の築いた岡堰(取手市)
 
 
この2人の生涯に沿って難しい東遷事業、関東開発を説明することによってだいぶわかりやすくなったと自負しております。自由に閲覧し、印刷してもらって郷土の偉人の偉業を川口市民の口で語られることを念願します。
 
 
 各地に残る伊奈家を称える石碑の碑文を集めて掲載しました。漢文の碑文は拙いながらも翻訳に挑戦しました。おおよその意味は捉えていると思います。
特に、赤山源長寺にある伊奈家頌徳碑「朝散大夫備前権守伊奈氏碑名」は伊奈家の碑文としては最重要のものです。なぜかというと郡代伊奈家の当主自ら刻んだ伊奈家が受け継ぐ家訓を刻んだ碑文だからです。
源長寺の伊奈家頌徳碑
 
 朝散大夫(ちょうさんたいふ)とは従五位の漢名で備前権守とは初代忠次のことです。つまりこの碑文は伊奈家の基を開いた忠次の生涯・活躍を通じて伊奈家が代々受け継ぐべき掟を印した伊奈家の魂ともいえる遺蹟だったのです。碑文には忠次の縦横の活躍が活写され、生き生きとした人物像が浮かび上がってきます。郷土の偉人(伊奈町のひとですが)が身近に感じられるはずです。
赤山源長寺
 
 
あと、葛西用水元圦跡の碑や野良坊菜の碑などの碑文も掲載し、今まで全く知らなかった歴史を知れると思います。付録には「関東郡代伊奈家の200年」年表、系図、丸山陣屋絵図(伊奈町観光協会からご提供いただきました)も載せています。
 
これで関東郡代伊奈氏の200年研究班の残る研究テーマも
 
葛西用水、中山道伝馬騒動&江戸打ち壊しの収拾、赤山領と赤山陣屋の3つになりました。できれば来年中に3つとも仕上げてアップしたいと思います。それで通史としての伊奈家の研究も完成となりますので、来年は益々活発に活動していきますのでよろしくお願いします。
 
今年はこれで、皆さんよいお年を。
 
歴史調査団「関東郡代伊奈家の200年」研究班

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