2014年9月10日水曜日

将軍の日光社参と伊奈氏

11月9日に第2回日光御成道まつりが行われますが、その前にちょっと注目しているのがこれ!
川口商工会議所のゆるきゃら「御成姫」ちゃん

先月デビューした御成姫ちゃん。御成姫と言えば昨年11月にコンテストで選ばれた6人の御成姫が有名ですが、同じ名前でゆるきゃらが誕生したようです。さしずめきゅぽらんの彼女役といったところでしょうか?きゅぽらんといっしょに各種イベントに参加して忙しそうです。
ところでこの御成姫ちゃんのプロフィールですが。

龍神伝説のあるお姫様。昔、川口市の一部を治めていた伊奈家の姫
おてんばで良く笑い、笑顔のかわいい子。趣味は街歩きとおいしいものを見つけること。お祭りが大好きな12才。」


なんと!御成姫ちゃんはあの龍神伝説の姫さまだった!

*詳しくは当会ブログ
龍神伝説の謎に挑む
http://araijyuku.blogspot.jp/2014/03/blog-post_28.html

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それはさておき。御成道まつりも2回目ということで、今後も定着していくとなればそもそも御成道とは何か?日光社参と伊奈氏の関係は?などを明らかにしていきたいと思います。知れば御成道まつりも2倍楽しくなるはずです。

日光御成道とは?

御成道全図。*クリックして拡大してください

「デジタルガイドブックようこそ川口」によると

日光御成道(にっこうおなりみち)は、本郷追分(東京都文京区)から、幸手宿(埼玉県幸手市)の手前で日光街道に合流するまでの12里30町(約48km)の街道です。
もともとは鎌倉時代の奥州へ通じる幹線道路「鎌倉街道中道(かまくらかいどうなかつみち)」でした。
時代は移り慶長5年(1600年)、この道を北上して上杉征伐へ向かった徳川家康は、小山宿(栃木県小山市)で石田三成挙兵を知り、直ちに引き返して関ヶ原の合戦で勝利、やがて征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開くのです。
家康は、その遺言により日光東照宮に祀られました。以来、歴代将軍の日光社参が幕府の大切な行事となります。
そのための特別な道が「日光御成道」なのです。
天下取りの戦に勝利する始まりの道、縁起の良い道である「日光御成道」。川口宿、鳩ヶ谷宿の名残を“御成道さんぽ”で訪ねてみませんか。
とあります。

つまり日光御成道とは徳川将軍が日光東照宮にお参りするためだけに作られた専用道路だったのです。
鳩ヶ谷本町にある御成坂公園


日光社参の様子がモザイク画で描かれている

日光社参のようす

日光社参は徳川家康の祥月命日である4月17日(旧暦)に行われました。4月13日に江戸城を立ち、岩槻、古河、宇都宮と泊まり、16日に日光入り。17日に東照宮に詣でて、18日に同様の行程で帰途につきました。吉宗の社参では供奉の家臣13万3千人、人足22万8千人、馬匹30万5千匹と、途方もない規模の行列だったようです。なにしろ先頭が夜中の零時に出発して最後尾は朝の10時に江戸城を出るという長さだったので、沿道の村人たちは目を丸くしたことでしょう。社参は莫大な費用(20万両)が掛かるので頻繁に行っていたわけではなく、江戸時代を通じて17回だったそうです。

日光社参と伊奈家

日光社参のとき伊奈家は何をしていたのか?
じつは伊奈家の当主はこの行列には加わっていません。伊奈家は日光社参のときは裏方を一手に引き受けていたので、もっぱら行列のサポートと、川口から栗橋までの将軍の接待役に徹することになります。将軍の日光社参が決まると伊奈家当主は勘定奉行の支配から外れて老中の直接支配下にはいります。そのときに与えられる役職は勘定吟味役首座とか勘定奉行と同列ぐらいの立場に立ちます。なぜそうなるのかというと、伊奈家が社参行列のための人足や馬を関東一円から調達するからです。上記のような規模の大徴収を行うのに勘定奉行の下部組織では都合が悪いのです。関東の天領、私領関係なく号令するのにただの代官ではだめだということです。また、関東において、伊奈家でなければ農村の反発が大きい大規模な人馬の調達と煩雑な業務が遂行できなかったのです。
関東郡代伊奈家は通常は勘定奉行の下部組織ですが、災害復旧とか一揆の収拾とか、その他関東一円にかかわることにおいては伊奈家の能力・実力に頼らざるを得ず、それゆえ臨時に老中の直接支配(町奉行や勘定奉行と同列)に昇進するのです。幕府機構から大きく逸脱した実力を持つ伊奈家は、名目上は他の代官、郡代と一緒ですが、実質は関東長官という、ほかに比肩しようのない大きく特殊な官僚家だったのです。結局扱いに苦慮した幕府は、のちに伊奈家改易を機に関東郡代そのものを廃止してしまうことになります。
川口の渡し

岩淵―川口間は普段は荒川を渡し船で渡りますが、社参のときは仮の橋を掛け行列を渡します。このとき伊奈家当主は橋の上で将軍に「蓬莱の御盃台」を献上するのが習わしだったそうです。蓬莱というのは中国の蓬莱山で、その山の形をした盃台を献上したということでしょう。それに対し将軍からは伊奈家当主および嫡子に時服(じふく)や黄金を下賜しています。あたかも関東長官としてここからは当家がご案内致します。という儀式のようです。
盃台。盃台とは三三九度の盃が載ってるような台のこと。蓬莱の御盃台とは、要は山形の台のことです。御成道まつりではぜひこの儀式を再現してもらいたいものです。

実際にここから錫杖寺に案内して将軍に昼餉(昼飯)をとらせ、それから岩槻を経て栗橋で利根川を渡るまでの接待を務めている。それ以降日光までの接待は古河藩や宇都宮藩が当たりましたが、往復の人馬の手配はあくまで伊奈家の担当でした。岩槻藩主は錫杖寺で将軍を出迎えるとすぐさま岩槻城に引き返し将軍を待ったそうです。ちなみに伊奈氏研究の大家、小澤正弘氏によると赤山に陣屋を築いたことは将軍の日光社参をサポートする意味もあったといいます。
赤山陣屋のお堀


11月9日、盛大な行列を見ながら、往時の歴史に思いを馳せるのも御成道まつりの楽しみの一つです。では。

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