2014年12月29日月曜日

鳩ヶ谷のおかめ市2014レポート

12月23日。今年も鳩ヶ谷氷川神社のおかめ市に行ってきました。今回は孤独のグルメ風にレポートします。

 師走の寒空の下、久しぶりに鳩ヶ谷に来た。
そう、今日はおかめ市。
日光御成道を歩行天にして両側には露店が並ぶ。
雑踏にわくわくする。
露店にもいろいろある。食べ物飲み物、遊ぶもの。あ!スマートボール!いいな~、これ。
 
 綿菓子。じばにゃん、アナ雪、リラクマ。
けっこう流行に敏感。
 ここはくじ引き。こういうの好きだなぁ。
おやじとのやり取りが楽しいんだ。
 射的だぁ~!なつかしい。
俺もやってみよう!
思い切り腕を伸ばして~、パン!
大当たり~!
もひとつ、ポン!
またまた大当たり~!
あれ?兄ちゃんが渋い顔している。
ちょっと大人げなかったかな?
景品は隣の子供にあげた。
 鳩ヶ谷総鎮守氷川神社。何はともあれお参りを。って、すごい行列。
 福をかっこめ、ジャラジャラ。パンパン。
ふう、やっとお参りできた。
 おお~!すごい!ここだけ別世界だ。エキゾチック!
 商売繁盛、家内安全!色とりどりの熊手に見入る。
 どうやら一つ売れたようだ。威勢の良い手締めで福を呼び込む。いいね~、これぞ日本。

それにしても
腹減ったなぁ~。
何かうまいものを、、。

 串焼きにたこ焼き。肉の焼ける匂いがたまらない。1本買っとくか。
 ここは焼きそばか。ソースの匂いがツ~ンと鼻をくすぐる。う~ん。
 お好み焼き。すごいボリュームだ!すいません、お好み焼き一つ!
こっちは棒状のお好み焼き。こういうのもあるのか?、、。
 あ!イカ焼きだ!これこれ、うまいんだよなぁ。おばちゃん、一つ頂戴!
 ケバブ。スパイシーな香りが、、。ええい、これも食うぞ!
神社そばのお休み処に腰を下ろす。
熱燗をキュ~っと。
くぅ~、しみる!(井之頭五郎は酒が飲めません)
串焼き、お好み焼き、イカ焼き、ケバブ。
ほっかほか!
これが今日の晩飯。
よ~し、喰うぞ!
はむっ!はむ!ムシャムシャ!

う~ん、うまい!

以上、レポートでした。

2014年12月24日水曜日

埼玉地酒めぐり(SR主催)に出店

12月21日(日)埼玉高速線(SR)主催の「埼玉地酒めぐり」ラリーに出店しました。
 
このイベントはSR発行の「埼玉地酒めぐりきっぷ」を買うと、SRを1日乗り放題で、しかも各駅に設置された試飲コーナーで各酒1杯ずつ出来るという呑み助には嬉しい催しです。さらに各駅では漬物やせんべいなど、つまみやお土産を販売。当日は多くの人が参加して埼玉が誇る酒を堪能していました。
 

新井宿駅で試飲コーナーに並ぶ人たち
試飲コーナー。各駅1杯目は無料で2杯目から有料。
5駅あるので5杯も飲める。これだけで十分元が取れる。
 当会のブース。
 
内訳は
・協議会野菜(ヤツガシラ・白菜・長ネギ)・中ばし(赤飯・酒饅頭・団子・日本酒ゼリー・ヤツガシラスイーツ他・ホッペホッペ(カレーパン・おつまみラスク他調理パン)・勝時(ヒレコロ丼・ヤツガシラ煮物・ズイキ煮物・カツパン)
 
当会のブースは好評で売切れのため16:30には閉店しました。こんなにでっかい白菜も買っていきました。荷物になるのにすごい購買欲。帰って鍋でもするかな?
 
SRとまちづくりのコラボは初めてではありませんが、SRで飲む。SRで食べる。SRで買う。SRで遊ぶ。これに各地のまちづくりが合流する。雨の心配もすることないしいいかも。今後の可能性を感じるイベントでした。
  

2014年12月18日木曜日

聖火富士―富士見二重坂より

 年末の神根の冬は花もないしイルミネーションもないさみしい所。そんな中で唯一心震わせる感動を味わえるのが富士見スポットの富士見二重坂(金子クリニックの坂)。今日は冬至前後に見える「聖火富士」の連続写真をお見せします。*クリックして拡大してください







 
 正確な日は分かりませんが、だいたい冬至前後に山頂真上に落ちる夕日が見れます。夕日は冬至前に一旦富士山の左側に行きますが、冬至を境にふたたび右に移動します。ですからいわゆるダイヤモンド富士は2回見られることになります。でも、この日というのがよくわからないんです。*この日は冬至を挟んで8日。つまり12月14日と12月30日ということがわかりました。
 
時間はだいたい16:20~30の間ぐらい。連続写真を撮るんでしたらその5分前くらいからスタンバイするべきでしょう。金色の日の中から富士山が表れる光景は得も言われぬ美しさです。僕はカメラに疎く、このデジカメもドンキのお買得品なのであまり良い画像とは言えません。また、フィルターを付けていればダイヤモンド富士が取れたと思うんですが。
 誰かいいカメラと技術でダイヤモンド富士を収めてもらいたいものです。*光が強烈なので、見続けていると目がくらくらします。グラサンをかけましょう。

 
日が沈んでもこのように美しいグラデーションが拝めますので、20分ぐらいはそのままいる方がお得というものでしょう。

2014年12月10日水曜日

龍神伝説の謎に挑むその3-関東郡代伊奈氏の200年

 

龍神伝説新展開!
 あれから調査が行き詰まっていたのですが、ふとしたきっかけから有力な情報提供があったので謎の解明が一気に進みました。さて、今回は何が明らかになるでしょうか?

*過去の記事
龍神で説の謎に挑むその1
http://araijyuku.blogspot.jp/2014/03/blog-post_28.html

龍神伝説の謎に挑むその2
http://araijyuku.blogspot.jp/2014/07/blog-post_13.html


 
ちょっと話がそれますが
安行には蛇にまつわる話が2つあります。そのひとつ。

十三段坂の伝説
 「赤芝新田が沼地であったころのこと。伊奈氏に仕る藤田某が、ある夜この沼で釣りをしていました。すると水面に小さい蛇が現れて、釣り糸のウキにじゃれつきます。しばらくして糸から竿をつたって竿を持つ親指をなめはじめました。薄気味悪くなり、小刀を抜いて蛇を切り捨てたところ蛇はそのまま水中に沈んで消えました。
 翌朝気にかかり沼まで行ってみると、沼の水は赤く染まり、水面に死んだ大蛇が浮かんでいました。
大蛇を引き上げ切り刻むと、なんと馬3頭分の荷になりました。これを背にした三頭の馬を引いて登った坂が「竜三駄坂」で、いつの間にか「十三段坂」と呼ばれました。後日、ある男が大蛇の頭蓋骨を貰い受け祀ったのが、安行領家の弁財天であると伝えられています。」


弁財天とは興禅院裏のふるさとの森の中の放生池という湧水の池の前にあります。創建は明らかではありませんが、寛文年間(1661~1672)頃ではないかと言われています。
興禅院にある弁財天。蛇がとぐろを巻いている。蛇は弁財天の使いといわれており、また、中世以降流行した宇賀神弁財天は人頭蛇身だといいます。これはどちらなのかわかりません。弁天は元々水の神、宇賀神は五穀豊穣の神で両者が習合したのが宇賀神弁財天です。
興禅院は伊奈家の重臣(付家老)冨田氏3代目資乗(すけのり)が中興開基(再建)しました。写真は冨田氏の墓所。このときなぜか予報にはない雨が降り始める。
 
 もう一つは
 
安行原の蛇つくり
 「この祭は、毎年5月24日に行われ、五穀豊穣・天下太平・無病息災なども祈願するため、長さ10メートルの蛇をつくることから始まる。
午後3時頃、出船のドラに似た鐘の音を合図に安行原のうち、清水、半縄、向原、中郷の四つの字の村人が藁(わら)をもち集まってくる。
先ず、この一年間欅(けやき)の大木につけられていた蛇をおろし、次に各人がその蛇をみながらそれぞれ協力して昨年と同様な蛇のかたちを作り上げていく。大蛇の頭部は、木の枝で枠をつくってこれに藁を組み合わせたものを二組み作り、それらを重ね合わせて片方が上下に開くようにする。これが大蛇の口であり、その中に舌をつけ、密蔵院の住職によって書かれた祈願文をしっかりと結びつけ、耳、鼻、ひげ等が順次編まれて、これらを所定のところにつけて蛇の頭ができあがる。
次に、胴は藁をねじりながら三つ編みにして約十メートルの長さに造り、最後に頭や胴等が全て組み合わされて蛇造りが終わる。
出来上がると、大欅の股のところに頭を、胴を幹に巻き付けて安置し、百万遍の行事を行って、この祭は終わる。」この行事は300年前頃から始まったと言われている。
 
道の駅樹里安にある同じ蛇
蛇が載せられる大ケヤキ
 
 この2つが関係あるのか?また、龍神伝説に関係あるのか?と言われるとわからないとしか言えませんが、この辺りには蛇にまつわる伝説、水の神弁財天への信仰が色濃く残っているということです。
 
これを踏まえて寄せられた情報を紹介します。これは昭和48年3月の「川口史林」第10号に寄稿されたものです。
 
忠克の蛇伝説
 「伊奈3代の主、半左衛門忠克公は大の釣り好きであった。くりぬき船でカヌー様の朱塗りの小舟に乗っては、新町口よりやや北寄りの方向を目指して堀水を漕ぎ渡り、釣りの跡はちょうど向こう岸にあった一軒の茶屋(前回掲載の稲荷神社、茶屋稲荷と言われているそうです)へ立ち寄って閑雲野鶴、しばしの時を費やすのを日課のようにしていた。茶屋の周囲は一面の山ツツジが生茂り、季節ともなると開花の壮観はえに言われぬものであった。
 
沼の西側の丘に建つ稲荷神社。かつては茶屋で、茶屋稲荷と言われたことがわかりました。
 
 或る時、例によって彼は朱船を漕ぎだし、釣り糸を垂れていた。と、どこからともなく一匹の蛇がちょろちょろと泳ぎ来て、船べりを二,三度嘗めまわし、離れては再度近づいて嘗めまわしているのに気付いた。その日はさして気には留めなかったが、そんなことが再三再四にわたるので、とうとう堪りかねた半左衛門はある時小柄を抜いて小蛇の急所とおぼしきあたりを一気に刺し通した。すると不思議、鏡のような水面はにわかに様相を一変し、刻々と逆巻く怒涛と化していった。肝をつぶした半左衛門は波に翻弄される小舟の中でいかんともなしがたく、突如襲い来たった大波は木の葉を返すがごとく小舟を逆転させた。半左衛門はほうほうのていで元の岸へ泳ぎ着き、命からがら城中に戻ったが、日ごろ愛用の朱船は波にのまれたか、跡形もなかった。翌日家臣に見に行かせたところ蛇の死骸を確認したとも伝えられている。
 歳月は幾度か変遷し、忠尊の代に、上の勘気に触れて永年の職を辞するのやむなきに至った。館は取り壊し、堀水は全部排出してしまうようにとの事。水の引いた堀底に延々と横たわる一連の蛇の骨が発見され、さらにやや窪みをなした所に丸木の船が見出された。かつて半左衛門が刺殺した小蛇はこの大蛇の化身だったということになった。これを人は龍神と呼び、特に雌龍神という古老もあるが定かではない。
 蛇骨は車に積まれ、幾度も急な斜面上り下りして搬出された。斜面はわだちの跡も踏み固められて狭い道路状を呈し、搬出数が通算13車であったことにちなみ、十三駄坂と呼ばれるようになった。(現在は十三段坂と呼ばれている)水のなくなった堀は次第に土砂で埋没し、朱船もその下となったがわずかに上部に窪地を残し、雨水がそこに溜まった。」
 
 
水神祠、十三駄坂、茶屋稲荷の位置関係 。あとで述べますが、十三駄坂は実在しました。
 
 
まだ続きがありますが、ひとまず置きます。
 
上記の寄稿の話が姫の龍神伝説と十三段坂の元になったのかどうかはわかりません。2つの伝説はこの話が分かれてそれぞれ違う要素が入った話に変わっています。ちょっと整理しますと
 
主人公
(忠克の蛇伝説)伊奈半左衛門忠克(第四代)

(龍神伝説)伊奈の姫
(十三段坂)伊奈家家臣藤田某
 
船遊び、釣り
(忠克の蛇伝説)伊奈半左衛門忠克
(龍神伝説)伊奈の姫ー舟遊び
(十三段坂)藤田ー釣り
 
場所
(忠克の蛇伝説)北の沼
(龍神伝説)北の沼
(十三段坂)北の沼
 
時期
(忠克の蛇伝説)忠克の代、伊奈家改易後
(龍神伝説)不明
(十三段坂)不明
 
 このように比較しますとよくわかりますが、蛇伝説の忠克の身に起こったことが伊奈の姫と藤田の身に起こっています。どうして混じったのかわかりませんが、伊奈の姫、藤田それぞれにまた別個の伝説が存在するかもしれません。もしそれがわかれば大きく真相に近づけますが、今のところ確認できません。
 
 この蛇伝説の話で最も重要なのが、時期がはっきり書いてあるということです。龍神伝説、十三段坂ともに時期が不明だったのですが、異常現象が忠克の代(1653-1665年)、大蛇の骨が伊奈家改易後(1792年)と明確に記されています。また、沼や堀、茶屋などの位置関係が正確で、今も確認できるということです。*上記画像参照
 「龍神伝説の謎に挑むその1」ではその時期を
代官を支配地から江戸詰を義務付けられる前。赤芝新田の開発が始まる前(1714)。そして伊奈氏の関東開発がまだ盛んだったころと推測し、忠克の代としましたが、ここでははっきりと忠克と出ています。この忠克の蛇伝説には伊奈の姫は出てきませんが、例の源長寺の聖観音石仏(雲晴院殿歓誉妙喜大姉)は伊奈忠克の妾の娘だと確認されましたので、やはり龍神伝説の姫と聖観音石仏は関係があると思います。
  
 
  また、この忠克の蛇伝説が元になって安行の蛇信仰が始まったのではないか?と思えるのです。時系列を整理しますと。
 
伊奈忠克の遭難*在職期間(1653-1665年)
冨田氏の興禅院中興開基*寛文年間と思われる
興禅院弁財天建立時期(1661-1672年)寛文年間
安行原の蛇つくり(1700年頃から)
大蛇の骨発見(1792年)
男が弁財天に頭骨を奉納する
 
伊奈忠克の件が赤山領下で噂になり、寛文年間に弁財天が建立され弁天信仰が流行する。ほどなく安行原で蛇つくりが始まる。そして赤山陣屋破却後に大蛇の骨が発見され、それをある男が弁財天に納めた。これはまあ、あくまで想像ですが。
 
五豊龍神
二の丸の水神祠。 
 
まだ忠克の蛇伝説の話には続きがあります。
  
 
  「時代は下って伊奈家改易後。その名跡を惜しまれて、忠克の弟忠重の子孫、忠盈(ただみつ)が1千石の小普請として相続した。それから五代目の伊奈忠勝氏と弟の隋吉氏はともに鳩ヶ谷高等小学校を卒業し、それぞれ東京に移り住んだが、忠勝氏は昭和七年に没し、そして、その弟の伊奈隋吉氏は兄の死後病臥し、5年間というもの悶々として病に苦しんでいた。兄亡きあと代を継ぐことも叶わず、兄も父もその父もほとんど五十を越えずして急逝している。自分ももう五十に近い、死期も近かろうと悲嘆し、日ごとに衰弱していった。極度の神経衰弱に陥りいずれの大学の名医もさじを投げてなすすべがない。何か精神的なより処を与えないことには命に関わると言われる始末。
  これに同情した兄弟の知古である鳩ヶ谷のY氏は、諸方を飛び回って易を立てるなどして、隋吉の病が先代の者が殺した龍神の祟りであると聞きこんだ。そして多少神道の心得のあった赤芝新田のS氏を訪ね、伊奈家の祈祷方を依頼した。S氏は朱船の沈んだと言われる跡の池水を汲んでY氏に託し、毎日五時に起床し池水を一滴垂らして冷水摩擦するよう指示した。するとみるみる快方に向かった。快癒した隋吉はS氏を訪ね、どこかに御堂を建てて龍神の霊を安置したいと申し出た。そして伊奈家の出資で朱船が沈んでいると伝えられる小池の前に石の堂をたてて龍神の御霊を封じ、内に神体を安置し「五豊龍神」と名付けた。時に昭和15年12月23日のことである。」
 
 
 なんと、二の丸の水神祠は伊奈家の末裔が忠克の蛇伝説に基づいて建立したとのことです。しかもその場所は伝説の朱船が沈んでいた場所だったのです。
 
不思議の池と十三段坂
 先日、この寄稿をしたS氏を訪ねました。S氏は歴史バスツアーに参加されていて、配布された龍神伝説の資料を見て僕にこの五豊龍神の寄稿文のコピーを送ってくれました。
 
 じつはS氏は隋吉氏に治療法を指示したS氏の御子息で、子供のころは五豊龍神の年末の御祓いなどを手伝わされていたそうです。S氏宅で伊奈隋吉氏からの御礼状の写し、建立の時に唱えた祝詞、その他貴重な資料を見せていただいたのみならず、伊奈家に関する分厚い資料をお貸ししていただきました。そしてS氏の案内で祠に行き、朱船が沈んでいたとされる「不思議の池」の場所を教えていただきました。その池は今は遊歩道の下にあります。
 
祠前の不思議の池があった場所に立つS氏。大きさはせいぜい2mぐらいとのこと。この池をかき混ぜると必ず雨が降ったそうで、大旱魃の時雨乞いをして効があったと言います。そして今日も雨。

そしてこれが13段坂(13駄坂)。右にあるのは外郭環状線。下ると北の沼に至る。S氏が子供のころは傍に馬頭観音があったというので、公道(村道)だったということか。沼から何を引き上げ、どこに運んだのか?
 
 伝説の中にある茶屋(稲荷神社)、朱船が沈んでいた場所、そして大蛇の遺骸を運んだ13段坂が実在したとは驚きました。実際に忠克の遭難、竜の出土などがあったとは思いませんが、姫の龍神伝説に比べ忠克の蛇伝説の方が時期や場所がはっきりしているので、こちらが姫の竜神伝説の元になったのだと思います。少なくとも昭和15年の段階では龍神伝説とはこのことを言ったのではないでしょうか?そして、その後姫の失踪が加えられた。
 
伝説の姫と聖観音
 
伊奈家菩提寺川口市赤山源長寺の謎の聖観音石仏
 
 姫の龍神伝説の成立が昭和15年以降だとしても、姫が架空の存在とは思えない。なぜなら、聖観音の「雲晴院殿歓誉妙喜大姉」は忠克の娘で、忠克の在職期間中に亡くなっている。しかも85年も経って後代の当主が最大の敬意を払って石仏を建立している。伝説に加えられた姫と聖観音の姫とは同一人物の可能性がある。
 先ほども言いましたが、聖観音の姫の伝説は別個にあり、忠克の蛇伝説と同時期なのでいつしか合わさった。と考えています。この合わさった経緯を調べれば真相が明らかになるかもしれません。
 今回、伝説が忠克に起こったことがわかり、聖観音と伝説の時期が一致したことは大きな前進です。あとはこの姫に何が起こったのか?そしてなぜ85年後に石仏が建立されたのか?いよいよ核心に近づいてきました。
 
 
 

2014年12月3日水曜日

保存版「神根 四季の風景」+安行・鳩ヶ谷その2

*保存版「神根 四季の風景」その1は下をクリックしてください。
 
立秋~秋分
暑さは本番ですが、暦の上では秋です。御先祖と神仏に感謝の祈りを捧げます。
 
 
「神輿」 
7月 鳩ヶ谷氷川神社 神幸祭
 
 
 「御本尊の開帳」
8月お盆 新井宿多宝院 恐る恐る覗く子供たち
 
 
「御本尊の開帳その2」
8月お盆 新井宿多宝院 この辺りの人は夜お墓参りに来ます
 
 
 
 
「200年続く鍼灸院」
8月 安行金剛寺 お灸の寺です。植木の開祖吉田権之丞の墓もあります
 
 
「村の由緒を伝える」
9月 源左衛門新田古峰神社 由来を刻んだ石碑があります。
 
 
 
「バス停裏のサルスベリ」
9月 新井宿駅 百日紅というだけあって長い間咲いています。
 
 
 「無人販売所」
9月 木曽呂 神根にはこういうのが結構残っています。
 
 
 
秋分~立冬
秋風が吹き始めると草花の勢いも衰え、葉の緑も抜けていきます。それはそれで違った彩の季節が近いということです

 「庚申塔は仲良き村の記念碑」
10月 西新井宿笹根 夜なべの宴会を年に6回3年続けた記念なのです。
 
 
 「秋の日はつるべ落とし」
10月 赤山西友 買い物をしている間に日が暮れた
 
 
「将軍の参詣」
10月 御成坂公園 日光社参専用の道です。
 
 
 「桜の紅葉」
10月 緑のヘルシーロード 桜は早くも落葉します。
 
立冬~冬至
いよいよ紅葉の季節です。街が赤や黄色に彩られ名画にも劣らない景色を見せてくれます。
 
 「大ケヤキの紅葉」
11月 木曽呂朝日神社 落葉するさまがそれは美しい。
 
 
 「もみじの錦」
11月 根岸松原幼稚園付近 用水路沿いに鮮やかな赤が飛び込んでくる。

 
 
「大銀杏の下 黄葉の間」
11月 木曽呂 保存樹の下は貴人の部屋のようでした。 


 「クリスマス用の畑?」
11月 木曽呂 クリスマスで見かける木がたくさん植わってます。


  「斜面林の紅葉」
12月 東内野 見沼田んぼから見る斜面林


「神根の昔の風景」
12月 見沼田んぼ ミレーの絵のようです。
 
 
 
「逆さに鉄塔を映す」
12月 芝川上根橋上 凪いだ川面が鏡のようです。
 
 
年の瀬~新年
いろいろあった一年も終わり、古い年に区切りをつけて新たな気持ちで新年を迎えるために、人々は様々な儀式を行います。
 
 「冠雪富士」
12月冬至 富士見二重坂 澄んだ空気にくっきりと。


 「灯火富士」
12月冬至 富士見二重坂 富士山頂に日が落ちます。


 「除夜の鐘つきとたき火」
大晦日 鳩ヶ谷法性寺 盛大すぎて心配になりました。


 「初詣」
元朝 西新井宿氷川神社 今年もよろしくお願いします。


 「日の出前 金星と月が露払い」
元旦 神根トンネル上 ご来光前の粋な計らい。


 「ご来光と飛行機雲」その1
2011元旦 神根トンネル上 見事なコラボレーション!


 
 「ご来光と飛行機雲」その2
この飛行機雲はJALの初日フライトによるものだそうです。


「春日神社の元旦」
元旦 根岸 小春日和のお正月。
 
 
まだまだ紹介していない花とか風景、風俗があって、いつかお見せしたいです。また、対象地も広げていきたいですね。川口市の3割を占める台地の上は自然豊かで古い村里。もう一つの川口です。