2015年4月18日土曜日

比企のらぼう菜調査団―単独編

ときがわ町マスコットキャラクター「のラビたん」。耳がのらぼう菜のウサギだそうです。
 
タイトルが調査団―単独編となっていますが、そこは突っ込まないでいただきたい。
今回はあきる野市と並ぶのらぼう菜の産地、比企郡ときがわ町に行ってきたので報告します。そうは言ってもこれは1年前の話。このあとのらぼう菜調査団―各部合同編をアップするので、その前にアップしそこなった調査報告をしなくてはとおもいアップした次第です。そんなわけで。
 
2014年4月10日
 
新井宿から一路ときがわ町へ
 まず最初に産直場のふれあいの里たまがわへ。ふれあいの里たまがわは近くの都幾川の河原のキャンプ場も経営している。川遊びに来るのもいいかも。
 さっそくのらぼう菜の幟が。のらぼう愛を感じる。
  のらぼう菜売場。この時期売場の結構なスペースをのらぼうに割いている。ときがわ町には直売所が多く、都幾川沿いのあちこちに点在している。
 山間ののんびりした風景を楽しみながら次の直売所に向かう
 大野特産物販売所。灯台のような外観。ここにはあるものが。山菜などと一緒にのらぼうが売っている。
 入口にこの地にのらぼう菜が伝わった経緯が書いてある。 ここ大野の農家から1767年(明和4年)に伊奈忠宥(第10代)が配布した種と指南書の受取書が見つかった。これが比企のらぼう菜復活の端緒になりました。この古文書は東京都あきる野市五日市でも見つかっており、どちらも伊奈忠宥の名で発給している。おそらく飯能市や川崎市など今ものらぼう菜を栽培している地方では同じように種と指南書が配られたと思われます。川崎市を除きときがわ町も五日市も飯能市も当時は伊奈氏の代官支配地ではありませんでした。にもかかわらず広範囲に試験栽培を実施しているのはどういう権限に寄るのか?伊奈忠宥はこの頃は関東郡代を兼任しながら勘定奉行に昇進しているので、勘定奉行の権限で実施したのだろうか?しかし幕府財政に責任を持つ勘定奉行はいかに年貢を搾り取るかが仕事であって、このような農業振興策はほとんどしない。百姓を守り育てるのは代官の仕事なので、忠宥は勘定奉行の権限で代官的な施策した。あるいはしてみたかったのではないでしょうか?忠宥はわずか4年で勘定奉行を致仕しています。もしかしたら伊奈家の撫民の伝統と勘定奉行の役割が矛盾しているのが嫌になったのかもしれません。
指南書のコピー。何がすごいって、これにはのぼう菜の栽培方法や利用価値、特性などが書いてありますが今と全く同じことです。研究熱心だったことがうかがえます。当時はどちらかというと春蒔きを推奨していたようですが、青物の端境期に食するため結果的に秋蒔きが定着したと考えられます。
 ここにはちりめんのらぼう菜という他にはないのらぼう菜が売っていました。
 腹が減ったので「やすらぎの家」という手打ちうどんの店に寄る。100年以上前の古民家を移築した農山村体験交流施設だそうです。
 古民家そのままの内観。広々している。やっぱり畳が落ち着くなぁ。
待ってました~!混んでいたので30分も待たされました。天ぷらサクサク。肉汁のつけうどんが絶品でした。

ときがわ町のどかでうまくていいな~。また来たい。そう思いつつ実際に来たのが1年後でした。各部合同編に続く。

*過去ののらぼう記事
伊奈氏の200年―幻の野菜のらぼう菜を探して
http://araijyuku.blogspot.jp/2013/06/blog-post_8.html

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