2015年8月28日金曜日

宝蔵寺の墓施餓鬼

アップが遅れましたが、地元行事の報告です。
8月14・15日に宝蔵寺で墓施餓鬼が行われました。
宝蔵寺は新井宿駅からほど近い真言宗豊山派のお寺で、江戸初期には創建されていたと言います。墓施餓鬼は毎年お盆にこのお寺で行われる行事ですが、川口市内はもとより全国でも珍しい風習です。

午後6時45分、宝蔵寺門前。提灯を手に続々と集まる檀家の人々。8月15日日暮前。前日は夕立があって来られなかったので、多くの人が訪れました。
境内の古桜の枝をくぐると墓地があります。 
 すでに多くの人が自分たちの御墓の前に集合していました。墓施餓鬼には親族一同が集まるのが恒例となっていて、お盆の帰省も兼ねています。川口に帰省っていうのも実感がわかないと思いますが、神根や安行など古い家が残る地域では普通なのです。
お墓に提灯を飾り、お線香を焚いています。写真ではわかりませんが、朦々たる煙です。 心なしか楽しそうです。
 夕闇が迫る本堂。そろそろ始まります。
御住職が本尊に額づいています。お出まし前の儀式でしょうか?厳粛な雰囲気です。
 
そもそも施餓鬼とは餓鬼道に落ちて成仏できずに俗世をさまよう無縁仏たちに食べ物を布施して供養するという仏教の儀式です。本来は時期に限らないのですが、お盆に行われるのが一般的です。
しかしこのように檀家の人たちが夜に御墓の前に集まって施餓鬼を行う風習は、このお寺独特なものだそうで、宗派とは関係なく、地域性によるものだそうです。
由来はわかりませんが、どこのお寺でもお盆の時期にはご僧侶が檀家の家を回って施餓鬼をするのですが、あまりに忙しいので、逆に檀家一同に集まってもらうことになったという説をいう人もいます。昔は盆踊りもセットになっていたそうで、かなり賑やかだったのではないでしょうか。
 いよいよ施餓鬼供養が始まりました。フラッシュを炊いたら怒られるので、フラッシュなしで撮影。写真では暗くてわかりませんが、ご住職が一つ一つ墓石の前に来て、鈴を鳴らし読経をして回ります。
 檀家に人たちは住職の供養が終わると三々五々として帰って行きます。

ご住職は宝蔵寺のお墓を回り終えると、今度は道路を挟んだ向かいの多宝院のお墓の施餓鬼に向かいます。ここでは主に新井宿町会の檀家の人たちがお墓の前で待っています。
この時だけ開帳される多宝院の御本尊。
 
この墓施餓鬼ですが、インターネットで検索すると、ぽつぽつと各地でやっているようです。しかし、時期も宗派もまちまちで、昼やるところもあります。やはり墓施餓鬼は地域性に由来するものだと思います。ちなみに世田谷の慶元寺(浄土宗)というお寺では盆踊りもセットで行われているそうで、宝蔵寺とよく似ています。この墓施餓鬼はいろんな地域の人が購入する新しい霊園では成立しないので、古い家が残る、地域と密着したお寺ならではの風習ではないかと思います。宝蔵寺・多宝院の檀家さんはほとんどが西新井宿、新井宿の人たちだそうです。この辺はまだまだ村の名残を残しています。
以上です。
 


2015年8月26日水曜日

NHKEテレで伊奈忠次を特集!


Eテレ(2チャンネル)先人たちの底力~知恵泉~
 
「江戸を救った男、伊奈忠次の防災術」
 
当会も取材協力!
 
9月1日(火)22:00~22:45

再放送は9月8日午後0:00~0:45

放送予定です。

番組HPはこちら
NHKオンライン「知恵泉~先人たちの底力~」
http://www4.nhk.or.jp/chieizu/
 
水戸の備前掘りに立つ伊奈熊蔵忠次の銅像。

 伊奈忠次は三河国小島出身の武士で、主君徳川家康に2度背いたもののその内政的手腕を認められ、関東入府の時に関東代官頭に任ぜられました。検地や知行割、治水、利水工事、土豪や寺社勢力を活用した新田開発、殖産振興などを通じて、家康の関東の速やかな支配に貢献しました。慶長15年(1610)に61才で没しますが、庶民からは神仏のように扱われ、「関八州は忠次によって富む」と言われたほどです。
源長寺の伊奈家頌徳碑の碑文を撮影するNHKスタッフ 

 3月27日にNHK水戸放送局のディレクターが当会に取材に来られ当会発行の小冊子その他を持ち帰られました。その後6月27日に源長寺にある伊奈家頌徳碑を取材に来られました。伊奈家頌徳碑は主に初代忠次の活躍が活写されているので、その碑文を撮りに来たそうです。
 放送では関東のグランドデザインを描いた忠次の治水思想をクローズアップするそうです。取材に来た担当ディレクターは伊奈忠次の魅力を最大限伝えたいと仰っておりました。
 この機会をお見逃しなく視聴しましょう!