2016年5月1日日曜日

摂政宮殿下御小憩所

新井宿駅前通りを400メートルぐらい東に行くと、左手に柵に囲われた立派な石碑が立っています。表に「摂政宮殿下御小憩所」埼玉県知事土岐銀次郎謹書と彫られており、裏にはその由来が彫られています。
現在この裏手にあった畑が整地され、有料老人ホームの建設が始まっています。この道は地元では赤山街道越谷道と呼ばれています。江戸時代に伊奈氏の赤山陣屋と松伏の杉浦陣屋を結んだ道で、昭和30年代までは武南桜と呼ばれる桜の並木道でした。街はどんどん変わってゆくのでこの機会にこの碑の由来をご紹介します。

高台なので家や首都高がなければ見晴は良かったのではないか?

 神根村誌によると「大正11年(1922)3月26日、摂政宮殿下が越谷在鴨御猟場に行啓の途次、赤山の地において下馬あらせられ、少時御休憩あそばされ給う。」とあります。

 摂政宮というのは昭和天皇のことで、生来病弱だった大正天皇が病状悪化のため前年の大正10年11月25日に摂政となった。その摂政宮が越谷の鴨場に行く途中、ここで休憩されたことを祈念して碑を建てたそうです。皇居から荒川の船橋を渡り、日光御成道を通って赤山街道で越谷へ。という道程だと思われますが、約30㎞はありますから、馬で行くのも相当時間がかかったことでしょう。昭和天皇このとき21歳。若くて壮健だったことが伺われます。
摂政宮(昭和天皇)が鳩ヶ谷町を通過した時の写真(目で見る川口鳩ヶ谷蕨の100年より)碑文には「文武官数多従え」とあります。

 この写真は碑文にあった鴨場への途中鳩ヶ谷町を通過された時の写真。颯爽と帽子を取って町民の歓迎に応えられている。通過は事前に知らされていたことでしょう。神根村でも熱烈歓迎しています。写真は蕨の飯塚信一という人が撮影し、内田武蔵氏(故人)に贈られたものとのことです。(目で見る川口鳩ヶ谷蕨の100年より)

いちおう碑文の全文を載せておきます。
摂政宮殿下御小憩御事跡
「維時大正11年3月26日。畏くも摂政宮殿下文武官数多従へさせられ、越谷在鴨御猟場に行啓遊ばさる。偶々(たまたま)御道筋たる赤山街道御通過のみぎり、当村の赤山の地において御下馬あらせられ、小時御休憩の光栄を賜り、奉迎奉拝の村民等ひとしく恐懼感激措くところを知らず。すなわち碑を建て永く聖蹟を記念し奉る」
昭和15年2月建立 神根村 浦和高等学校教授 秦慧玉謹書

 休憩したぐらいで大げさに思いますが、戦前の日本はこれが当たり前で、碑文から村人のフィーバーぶりが伝わってきます。引用した「目で見る川口鳩ヶ谷蕨の100年」にはここで休憩した理由を「長老によると、馬に飲ませる水が最もよかったからと聞いている」と書いてあります。水質の良い井戸でもあったのかなぁ。と想像します。
神根小の紀元2600年記念碑 

 ちなみにこの碑は昭和15年2月建立とありますから、神根村が川口町と合併したのを記念して建てられたものと思われます。神根小の石碑も同じときに建てられ、碑文選書、秦慧玉、表に県知事土岐銀次郎とあるのが一緒だからです。
以上。

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