2016年10月4日火曜日

関東郡代伊奈氏の200年小冊子が新ホームページに移転しました。

 以前のホームページから新しいホームページに移転したため、当会発行の伊奈氏関連の小冊子が閲覧できなくなってしまいました。そこで、新しいホームページにも小冊子のファイルを貼り付けましたので、下記のURLをクリックをしていただければ、新ホームページの小冊子のページに飛びます。お手数をおかけしますがよろしくお願いします。m(__)m

当会の新ホームページ
http://araijuku2011.jp/inasi01/

以下小冊子の内容です。

水を治め、水を利するー伊奈忠次・忠治父子の物語
http://araijuku2011.jp/wp-content/uploads/2016/10/小冊子水を治め、水を利する見開き用.pdf
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 「利根川東遷」は400年にわたる首都(江戸東京)の成立を決定づけた日本史上屈指の土木事業ですが、なぜか川口市民は知りません。伊奈家の本拠赤山領があった川口市にしてこれですから、全国でこの偉業を知る人は皆無といってよいでしょう。
 調査団はこの理由を、このテーマは難しくてとっつきにくいからだと結論しました。色々な書籍資料がありますが、一読してわかるものがないからです。そこで東遷事業の背景を、事業の発案者&責任者&施工者であった伊奈忠次・忠治父子の生涯に沿って解説することにしました。
 伊奈忠次は初代の関東郡代。徳川家康の絶大なる信頼の下、関東開発のグランドデザインを描き、その後の幕府の行財政の基礎を作りました。また、多くの治水事業、各地で殖産興業を奨励するなど関東農民から神仏のように扱われていたと言います。
 伊奈忠治は第3代関東郡代。父忠次の遺志を受け継ぎ、江戸時代最大の事業の利根川東遷に取り組みほぼ完成にこぎつけた偉人です。この事業によって江戸は水害を免れ、耕作可能地は拡大し(武蔵国だけで石高は倍増しました)、江戸と関東東北を結んだ巨大水運網は江戸の拡大と関東の諸産業の発展を招来しました。
 この2人の生涯に沿って難しい東遷事業、関東開発を説明することによってだいぶわかりやすくなったと自負しております。自由に閲覧し、印刷してもらって郷土の偉人の偉業を川口市民の口で語られることを念願します。

没後300年 宝永噴火と伊奈半左衛門忠順
http://araijuku2011.jp/inasi01/
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 江戸中期に起きた富士山の爆発的大噴火。降り積もる大量の火山灰によって一帯の村々は存亡の危機に立たされる。それに対し幕府の方針は被災民による自力復興というものだった。そうしたなか、復興の責任者に任命された7代目関東郡代伊奈半左衛門忠順(ただのぶ)は現地を視察、飢えなどに苦しむ人々の実情を知る。このまま苦しむ民を見捨てていいのか。伊奈は幕府の方針と被災民との間で葛藤する。果たして伊奈はどんな行動を取ったのか?

伊奈家頌徳碑文集
http://araijuku2011.jp/inasi01/
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 各地に残る伊奈家を称える石碑の碑文を集めて掲載しました。漢文の碑文は拙いながらも翻訳に挑戦しました。おおよその意味は捉えていると思います。

特に、赤山源長寺にある伊奈家頌徳碑「朝散大夫備前権守伊奈氏碑名」は伊奈家の碑文としては最重要のものです。なぜかというと郡代伊奈家の当主自ら刻んだ伊奈家が受け継ぐ家訓を刻んだ碑文だからです。

 朝散大夫(ちょうさんたいふ)とは従五位の漢名で備前権守とは初代忠次のことです。つまりこの碑文は伊奈家の基を開いた忠次の生涯・活躍を通じて伊奈家が代々受け継ぐべき掟を印した伊奈家の魂ともいえる遺蹟だったのです。碑文には忠次の縦横の活躍が活写され、生き生きとした人物像が浮かび上がってきます。郷土の偉人(伊奈町のひとですが)が身近に感じられるはずです。

江戸散歩ー元禄赤穂事件と伊奈家の本所深川開発
http://araijuku2011.jp/inasi01/
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 伊奈家は江戸の開発に深く関わっていますが、その事績をたどるのは難しい。そこで伊奈家が特に長きにわたって関わっていた本所深川の開発を、元禄赤穂事件を辿ることでその舞台となった本所深川開発に迫っていきます。

以上、今後も小冊子ができ次第新ホームページにてアップしていきます。

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