2017年6月6日火曜日

お女郎縁起考その4


過去の記事
連載!お女郎縁起考(当会ホームページより)
http://araijuku2011.jp/%e9%80%a3%e8%bc%89%ef%bc%81%e3%81%8a%e5%a5%b3%e9%83%8e%e7%b8%81%e8%b5%b7%e8%80%83/

春の嵐
寛政2年3月1日はグレゴリオ暦(西暦)に直すと1790年4月14日。今で言うとソメイヨシノが散って八重桜が開花する頃ですが、江戸時代は世界的に気温が低い小氷期と呼ばれ、なかでも18世紀は宝永噴火を始め浅間山の噴火など火山の噴火により異常気象が続き、それによる凶作が原因で天明の大飢饉などを引き起こしています。つまり4月14日とはいえ今よりも寒かったはずです。寛政2年3月1日の嵐というのは、呼び方こそ温帯低気圧ですが台風並みの強風と豪雨をもたらす爆弾低気圧のことだと思います。急速に発達し、冬から春にかけて日本付近で多発する低気圧で、暴風雪、暴風雨によって甚大な被害をもたらします。
 2012年4月3日に発生した爆弾低気圧は日本海上で急速に発達し中心気圧が964hpと大型台風並みの低気圧になりました。鉄道は運休、航空機は欠航。夕方に首都圏を直撃することから、東京都は企業に早期帰宅を促す通達を出しました。各地で暴風、集中豪雨による被害が続出し、新潟19万世帯、北海道30万世帯など停電が相次ぎ、住宅の屋根が飛ばされ、電柱が倒れ、車が横転するなど、物的被害は甚大になりました。また、死者5名、負傷者350名と人的被害も大型台風並みの被害が出ました。このように春の嵐は台風と変わらぬ規模で発達し被害も同様に発生します。寛永2年3月1日の嵐も石井伝右衛門が倒木の被害を心配するほどの嵐ですから、大きな温帯低気圧(爆弾低気圧)が通過したのだと思います
 お女郎はそんな嵐の翌朝発見されましたので、その付近で暴風雨に遭難したことになります。暴風雨の中をどう過ごしていたのか?なぜどこかの建物に避難していなかったのか?どうやって死んだのか?そしてまた、お女郎はなぜこの嵐の夜にこの辺りを歩いていたのか?なぜこの日に旅をしなければならなかったのか?特別な事情があったとしか考えられません。

爆弾低気圧の衛星画像

 

隠密性と緊急性


 お女郎とその同行者が何者であるかはわかりませんが、その行動は明らかに不審です。まず、忽然と林の中で発見されたということは、それまで現場周辺の村人や街道、宿場の人達の目に触れなかったということで、目立たぬように移動していたのでしょう。前日にこんな娘(もしくは娘のいる一行)を見た。という目撃証言があれば、どこから来たか、どこに向かっていたか、あるいはどんな様子だったのかがわかり、真相解明の大きな手がかりになるのですが、伝説には記録されていません。
 余談ですが僕が感心するのは、お女郎仏の話はあったことがそのまま伝えられていて、落ちや尾ひれがついていないことです。大抵この手の話には後日幽霊が出たとか、夢枕に立って何かを伝えたというようなことを付け加えて話を落着させています。別説には自分は女郎で死の間際に下の病に苦しむ人を助けてやりたいと言ったとか、最初差間の人が発見したが見捨ててしまったとかありますが(それが本当ならその人物の証言なりが残っているはず)、あくまでも別説で本説は新聞記事のように客観的です。何しろ死んだ時間まで伝えているのですから、不正確に伝わるのを嫌っているようにも取れます。これはおとぎ話ではなく事件なのだと。ですからお女郎の目撃証言がないというのも実際になかったから伝わっていないのだと思います。
 それはともかく、お女郎は誰にも見られていない、また、瀕死にもかかわらず同行者(本人も?)助けを求めていないことから隠密行だった。また、暴風雨の中を強行軍していることから何らかの緊急性があったのだと思います。嵐の中を見知らぬ若い娘が歩いているのはかえって目立つというか、見た人の印象に残る光景です。にもかかわらず誰も見ていないのは不自然です。考えられるのはあまりに無謀ですが夜通し歩いてきた。ということです。
お女郎とその同行者がなぜ嵐の中、人目を避けるように旅をしていたのか?何処かから、あるいは誰かから逃げてきたのか?何か危急の知らせを受けたのか?最悪の天候にもかかわらず旅立たずを得ずしかも目的地に着く前に夜になってしまった。これは当時の常識から言って相当異常なことです。
 江戸時代の旅は基本的に夜は歩きません。旅は日の出から日没まで歩くのであって日没前に宿場に泊まります。そのため宿場の端と端には木戸があり日没になると閉じてしまうのです。だから目的地に着く前に日が暮れるなどということはよほど特殊な状況でない限りありえないのです。現代とは違い当時は街道であっても街灯もありません。まして月夜でもない嵐の夜に旅するなど命に係わる無茶なことです。夜通し歩いてきたのかもしれないと言いましたが、わざわざそんなことをしたのではなく旅の途中で日が暮れてしまい、闇と土地不案内で道に迷ってしまった。そして嵐のために身動きが取れなくなったというのが実態ではないかと考えます。
しかしお女郎達は宿屋に泊るでもなく付近の百姓家に助けを求めることもしていません。お女郎発見の場所は御成道から東に入った村道沿いの林の中であり御成道はもちろん発見場所付近に人家がなかったとは考えられません。あるいは付近の寺社の建物で風雨を凌いでいたかもしれませんが。いずれにしても連れ合いが瀕死となったならば助けを求めてしかるべきです。この隠密性と緊急性は何かの「事件」に巻き込まれていたことを暗示しています。そのことが嵐の夜に遭難するという「事故」につながっていったのではないかと思います。次号に続く。

*この記事の一番上にホームページの連載 お女郎縁起考アドレスをクリックしていただければ、最新号以外はそこで読むことができます。また、最新話は画面右側に「お女郎縁起考」というラベルをクリックしていただければご覧いただけます。
 

0 件のコメント: