2017年7月11日火曜日

お女郎縁起考その5

過去の記事連載!お女郎縁起考(当会ホームページより)
http://araijuku2011.jp/%e9%80%a3%e8%bc%89%ef%bc%81%e3%81%8a%e5%a5%b3%e9%83%8e%e7%b8%81%e8%b5%b7%e8%80%83/
東海道五十三次沼津宿/付添人と旅する女性

お女郎の死因その1
 《お女郎は何らかの理由で一刻も早く今までいた所を去るか、目的地に向かわねばならず、嵐にもかかわらず道案内もしくはボディーガードと一緒に旅に出た。ところが石神付近で夜になり彷徨しているうちに身動きが取れなくなり、そのうちにお女郎が瀕死に陥った。同行者は助けを求めることをせずに、夜が明けるとお女郎を林の中に隠し、その際身元の分かる物と金品を奪って何処かへ逃げて行った。石井伝右衛門は役目柄嵐の後の官林の被害調査をしていると女のすすり泣く声が聞こえ、お女郎を発見した。》
 発見時の状況とこれまでの推理でおおよそこのようなことだったのではないか、と推理してみました。しかし依然としてお女郎が何者で、どこから来てどこへ行こうとしたのか?何故嵐の闇の中を旅していたのか?輪郭が見えてきません。真実は永遠に謎ですが、伝説の記述、発見場所や地理的状況、時代状況などからある程度こうだったのではないか?というアプローチをしていきたいと思います。しかしこれまでの推理もそうですが、あくまで推理想像であって学者のように証拠に基づいて真実に迫るというレベルの話ではないので予めご理解いただきたい。むしろエンターテイメントだと思って楽しんで読んでいただければ幸いです。
 まず核心部分の謎ではありませんが、お女郎の死因について考えてみたいと思います。お女郎は何が原因で死んだのでしょうか?お女郎という名前からして梅毒でしょうか?結核や心臓病などの持病でしょうか?それとも脳卒中や食中毒、あるいは毒を盛られた、はたまた同行者に首を絞められたとか。お女郎が病死したのか、不慮の事故で死んだのか、殺害されたのかによってお女郎伝説のストーリーが変わってきます。
 

 お女郎の死因を考える際に前提として2つの条件があります。

Ⅰ、嵐の中を歩いていたこと。
Ⅱ、同行者は無事だったこと。
 つまりお女郎は嵐の中を歩いて旅するほどの体力があった。また、同行者はどうやら無事だったようなので、お女郎の身の上にのみ災厄が降りかかったことがわかります。こう考えるとお女郎が余命幾ばくもない病身だったとは考えられず、道中に異変が起きたように思います。しかし、お女郎持病説を排除するまでには至りません。持病によって衰弱した体で強行軍をしてきたため、お女郎だけが瀕死になった可能性もあるからです。
 この前提をふまえ今一度伝説を振り返ってみましょう。
 「寛政2年(1790)3月1日に当地方に大きな暴風雨があり、石井家は当時村長を勤めていたので、翌朝官林(土手山)の見回りに行った処、山の中から若い女のすすり泣く声が聞えてくるので行って見ると、十八,九歳くらいの気品の高い女性が病に倒れて苦しんでおり、いろいろ事情を尋ねてみたが病重く言葉も絶え絶え、手掛かりになる所持品もなく、どこの者ともわからず、窮して隣家の杉山さんと相談の結果、庚申塚に仮小屋をつくり、そこに運んで医師を招き治療を受け手厚く看護したが、薬石効なく遂に同月六日午前十時不帰の客となってしまった。」

 この記述の中で2つの前提条件の他にポイントとなる箇所は、
1、 気品のある外見だった。見目麗しかったこと。
2、 意識が混濁していたこと。また、意識が戻らなかったこと。
3、 死ぬまでに5日間かかったこと。
4、 仮小屋で治療したこと。
の4点になります。

 2つの前提と4つのポイントふまえてお女郎の死因を考えてみます。医者じゃないので、これといった特定まではできませんがさまざま可能性を列挙してみます。
次号に続く。

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