2017年9月21日木曜日

お女郎縁起考その7

過去の記事連載!お女郎縁起考(当会ホームページより)
http://araijuku2011.jp/%e9%80%a3%e8%bc%89%ef%bc%81%e3%81%8a%e5%a5%b3%e9%83%8e%e7%b8%81%e8%b5%b7%e8%80%83/

低体温症
 お女郎に死因についてまとめてみると。
*旅の途中で急に瀕死になった。
*伝染病の特徴や外傷などは見られなかった。
*意識混濁から昏睡、そして死という過程でゆっくりと死んでいった。
*伝右衛門等は伝染病を警戒して仮小屋を建ててそこで治療した。
 

  こうして見ると脳へのダメージによる死というのが一番近いというのが感想です。若いので脳梗塞になったとは考えにくいので転倒して頭を強打したか、同行者に殴られたか。しかし、これにはどうしても頭に外傷があったのではないか?との疑問が拭えません。あるいはあったけれども言い伝えからは漏れてしまったかもしれませんが、何がしかのヒントが伝わっていてもよさそうなものです。(鼾をかいたとか)
 もう一つ有力な死因として低体温症(凍死)があります。伝説の冒頭「3月1日、当地方で暴風雨があり」とありますが前に述べたとおり春の嵐、いわゆる爆弾低気圧が通過したと考えられます。 冬でもないのに凍死するのかと思われるかもしれませんが、記憶に新しい事故で2009年7月に北海道大雪山系のトムラウシ山で多数の凍死者を出す遭難事故がありました。
トムラウシ山
 
  夏山と言っても雪渓の残る山。高齢者ばかりのツアー。2泊3日のロングコース。ガイドは実質中止や変更の権限を持っておらず、荒天が予想されていたにもかかわらず山小屋を出発してしまいした。直後から猛烈な風雨がツアー客を襲い、身を隠す場所もない岩山で一人また一人と動けなくなり、隊列はバラバラになり動けない人を見捨てて下山するという惨状になりました。結局9名が低体温症で死亡するという夏山シーズンでは前代未聞の遭難事故となりました。
 低体温症は体温が下がったまま上がらなくなる症状で、重度の場合死に至ります。ツアー客が次々と低体温症に罹ったのは衣服が濡れ強風に曝されたためです。
 お女郎にも似たような状況が起きたのではないでしょうか?闇の中で動きが取れなくなり、暴風雨に曝されているうちに体温を奪われ動けなくなった。同行者にも余裕はなく、お女郎を放置してどこかへ避難。雨が上がり夜も白んできてからお女郎を助けに行ったがすでに息も絶え絶え、もはや助からないと見て林の中に隠した。

 なぜ村人に助けを求めなかったかはさておき。お女郎の死因について考えるとき、この暴風雨という要素は外しがたい。直接にせよ間接にせよ死の原因になったのは間違いありません。その中でも低体温症は前述の「脳へのダメージ」説よりも自然です。以前にも述べましたが、江戸時代は小氷期と呼ばれるように今よりずっと寒かったからです。
 低体温症は直腸の温度が35度以下に下がった状態を言いますが、最初は体中がガタガタ震えて筋肉の摩擦によって発熱しようとします。それを過ぎると奇声を発したり、意味不明なことを言ったり錯乱状態になります。32度ぐらいに低下すると逆に無関心になります。これは脳への血流が減って脳機能が低下したことによる症状です。やがて揺すっても起きなくなり死亡します。トムラウシ事故ではまさしくこのような経過をたどりました。前述したお女郎の死にもその特徴が見られます。すすり泣いていたとか、問いかけに答えられないとかがそれです。
 低体温症の治療ですが、軽度の場合体を温めて、温かい甘い飲み物を与えることですが、中度以降になるともはや自律での体温回復は望めず、胃腸の温水洗浄や温めた輸液で体の中心部を温めます。患者の体を動かしたりさすって温めたりすると返って冷たい血液が心臓に行って死ぬ恐れがあります。
 お女郎の様子は中度以上に思われ、伝右衛門等は仮小屋を建て冷え切ったお女郎を温めたのかもしれません。しかし、当時の医療ではお女郎を救う手だてはなく、仮死状態に陥ったお女郎を見守る以外なかったと思われます。ちなみに「薬石効なく」と伝説にありますが、これは治療の甲斐なくという意味ですが、薬石とは「温めた石」という意味もあるのです。
 大正2年の夏の駒ケ岳集団遭難を描いた映画「聖職の碑」。この事故は綿密に計画されたにもかかわらず、様々な不幸なアクシデントにより、赤羽校長をはじめ11人の命が失われた大遭難事故となった。
 
次号に続く。

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