2018年1月19日金曜日

お女郎縁起考その11

過去の記事連載!お女郎縁起考(当会ホームページより)http://araijuku2011.jp/%e9%80%a3%e8%bc%89%ef%bc%81%e3%81%8a%e5%a5%b3%e9%83%8e%e7%b8%81%e8%b5%b7%e8%80%83/

お女郎の旅路ーまとめ

 お女郎が旅の起点として板橋宿にいたとすれば、故郷の越後に向かうには当然中仙道を進みますが、その日が伝説の通り「暴風雨」だったとしたらどうなるでしょうか?すぐ前には荒川があります。そこには橋が架かっておらず、渡し船で渡らなくてはならないのです。江戸幕府は江戸の防衛上江戸を囲む大河には架橋しませんでした。荒川や利根川、東海道に至ってはいくつも川がありながら、もっぱら渡し船か川渡し人足に渡してもらったのです。しかし、この川越しは大雨が降って川が増水すると渡船を中止します。これを川止めといって、旅人は川止めが解除されるまで何日も足止めされるのでした。
木曽街道(中仙道)蕨の駅 戸田川渡し場
 もし戸田の渡しが暴風雨で川止めされていたら普通は嵐が過ぎるまで待つのですが、お女郎たちが何らかの理由で旅を急いでいたとすれば、川を渡る手段はただ一つ。東に大きく迂回して「千住大橋」を渡るしかないのです。千住大橋は文禄3年(1594)に荒川下流に当たる隅田川に最初に掛けられた橋ですが(当初は防衛上唯一の橋だったが明暦の大火後は防災上の理由から次々に架橋された)、この橋は日光街道(奥州街道)、水戸街道、佐倉街道に通じています。「板橋より日光街道に入り」というのは暴風雨で渡し船が出ず、やむなく千住大橋を通って日光街道に入ったと考えたのではないでしょうか?そこから鳩ケ谷宿を通過して石神という経路を推理したと思います。このように一見無茶苦茶なルートも渡船ができなかったと考えれば、一気に現実味が増すのです。
名所江戸百景 千住の大橋
 
 
 鳩ケ谷宿を通過したかどうかは置くとして、私も今まで述べてきたことからして、お女郎が江戸の人で千住大橋を渡ってきたと思っています。問題はどこに行こうとしたか?100年前の人々は越後にこだわっていますが、お女郎が上記のルートを辿ったとするならば越後などの遠方ではないと言わざるを得ません。理由は女手形にあります。
 幕府は諸大名の謀反を防ぐために関所の重要な役目として、「入り鉄炮出女」といって、関東に鉄砲は持ち込ませず、また、幕府の人質として江戸に滞在している大名たちの妻女が関所の外に出ることを厳しく取り締まりました。女手形とは女性が箱根や碓井・栗橋などの関所を通過する際、幕府や大名の留守居役が発行する手形のことを言います。これには旅の目的や行き先、通る女性の人相、素性など書き込まれてあり、関所において入念にチェックされました。例え庶民の女性といえどもこれがないと関所を通過できないのです。
 
関所の女改め(箱根関所公式ホームページより)
 
 この女手形を取るには江戸町人の女性の場合、まず町名主に証明書を書いてもらい、それを町奉行に提出し許可を得る。さらにそれを幕府留守居役に提出して許可を得てようやく女手形が下りるのです。ですから江戸の女性が関所を越える長途の旅に出ようすれば入念に準備・計画しているはずで、突然旅に出るなどありえないのです。旅につきまとう川止めなどは当然織り込み済みであって、5里も6里も迂回するなど時間と体力の無駄をするはずがないのです。
女手形(箱根関所公式ホームページより)
 
  お女郎発見時に身元につながる所持品がなかったので、同行者が持ち去ったと考えられますが、そもそも女手形は最初から持っていなかったのではないでしょうか?つまり、女手形の必要のない関所の内側、江戸近郊のどこかを目指していたのではないでしょうか?もっと言えば1日で十分到達する距離の土地に向かっていたのではないでしょうか?それならば川止めから千住大橋―西へ向かうとい迂回ルートもつじつまが合うのです。
 
  「お女郎は江戸からそれほど離れていない土地を目指して旅に出た。しかし暴風雨で荒川を渡ることができなかった。何らかの事情により旅を急いでいた彼女は、唯一の橋である千住大橋を渡って大きく迂回する道を進む。しかしまた赤山に来たところで赤山陣屋の門に閉ざされ、やむなく迂回していたところで日没。進退窮まり、冷たい暴風雨にさらされて凍えて倒れてしまった。同行者は道案内役としての自分の失態を隠ぺいするために、夜が明けるとまだ息のあるお女郎を土手山に隠して所持品を持ち去って何処へ逐電(行方をくらます)した。」
 今までの推理を整理するとこうなります。お女郎の旅。それは本当のところどうだったかは定かではありません。これまで発見時の状況から死因、死因からその旅の経路を推理してきました。可能性として当たらずとも遠からずといったところでしょうか?しかしどう推理したとしても証拠はありません。ですからそろそろこの項を終えたいと思います。
 
    このお女郎縁起考のテーマはこのお女郎が何処のどんな人で、どんな生涯を送ったのか?ということなので、そろそろそこに入っていきたいと思います。
 
   じつを言うとお女郎につながるかもしれないある伝説があります。そしてお女郎とはその伝説に出てくる人ではないか?
 
   ということを前提に逆説的に推理してきたのが今まで述べてきた「お女郎の旅路」なのです。年の頃、美人であること、暴風雨の中を旅してきたこと、道不案内だったこと、目指していた場所。そして置き去りにされてしまったことなど。すべてはその伝説に出てくるその人を前提で推理してきたのです。次回からその伝説を明らかにしていきます。
次号に続く。
 
 
 


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