2018年6月21日木曜日

お女郎縁起考 大宮宿編その4

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お女郎縁起考 「お女郎の旅編」とその続き「大宮宿編」
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神道徳次郎と大宮宿
  広域盗賊団の神道徳次郎一味は大宮宿に隠れ家を構えていた。関東中で強盗を働いていた徳次郎達だから他にも隠れ家があったのかもしれませんが、唯一判明しているのが大宮宿なので、ここを拠点として数々の悪事を働いていたのでしょう。その隠れ家が四恩寺というお寺で今も残っています。
四恩寺。ここの閻魔堂を隠れ家にしていたが、寛政元年4月にここに潜伏しているところを鬼平に捕縛された。
 現在の閻魔堂。階段を上がったところに閻魔大王の像がある。
 
  徳次郎達はなぜ大宮宿を隠れ家にしたのでしょうか?考えられるのが、徳次郎は盗んだ物品を部下に売り捌かせていたので、売り捌くには巨大市場である江戸が最も適しています。大宮宿は中仙道の4番目の宿場で、板橋宿へは20km、日本橋へは30kmと売り捌きに行くには程よい距離です。また、江戸では様々な情報が集まるので、関東を荒らし回っている自分たちへの噂や幕府の動向なども部下に探らせていたのだと思います。これだけ派手に犯行を重ねているので、いつか幕府が本腰を入れて自分たちを捕まえに来ることも当然予想していたはずです。徳次郎が賢いのは関東の村々は襲っても、江戸では犯行をしていないところです。江戸府内で犯行をすればお上が黙っていないと考えていたのでしょう。半面村々や街道筋の宿場に対しては舐めていたようで、見境なく町屋や村を襲ったり、役人を装って関所を通過したり、宿場でも役人に対し御用であるとうそぶくなど、ふてぶてしい態度を取っています。そんな徳次郎にとっては大宮宿の役人など何とも思っていなかったに違いないのです。
徳次郎と千鳥
そんな徳次郎ですが、一応は宿場の人々に正体がばれないように商人と偽って盗んだ金で豪遊していたので、大宮宿の人々はガラは悪いが大身の商人の若旦那とでも思っていたのでしょう。
しかし柳屋の女郎千鳥を見染ると、次第にその本性を現していきます。柳屋の主人にいくらでも金を積むといって千鳥の身請けを迫ると、返事を先延ばしする柳屋に業を煮やし、数々の嫌がらせをします。店の前に手下を張らせ来る客に喧嘩を吹っ掛ける。店の入り口に閻魔像を置く。あげくに店に火をつけると脅したのです。
徳次郎が嫌がらせのために柳屋の前に置いたという。 

  冷静に考えれば、そんな目立つことをすれば、宿場の人々の噂になり正体が露見するとも限りません。また、身請けしたところで盗人であることが千鳥に知られれば役所に駆け込まれる恐れもあります。どう考えてもうまくいくはずがありません。大盗賊の頭目ともあろう者がそれをわからないはずがなく、にもかかわらずこのように尋常ならざる行為を繰り返したのはなぜなのか?女郎一人などどうにでもなると驕ったのか?宿場の連中など何もできないとタカをくくっていたのか?あるいは大盗賊のプライドなのか?僕は徳次郎は本気で千鳥に惚れてしまったのだと思います。身の危険も顧みず物狂いする姿は、恋に焦がれる一人の若者に見えます。おそらく徳次郎は大盗賊の頭目の用心も自制心も吹き飛ぶほどの激しい激情に駆られてしまったのです。
 
柳屋と千鳥の実像
では徳次郎がこれほどまでに恋焦がれた千鳥とはどんな女性だったのか?
街道一の美貌、男なら一夜でも仮寝の共をしたいと思うほどの人気、今でいえばトップアイドルのようなもので、大宮宿にとっては宿場の評判を上げてくれる貴重な存在でした。しかし、千鳥とその妹の都鳥は所詮哀れな女郎。借金の方に売られ、返済が住むまで馬車馬のように働かされる身分です。女郎、宿場女郎は別名飯盛女(めしもりおんな)と言います。
東海道五十三次「赤阪」歌川広重。飯盛女が描かれている(ウィキペディアより)
 
*飯盛女とは?
江戸時代、五街道をはじめ各街道の宿場には旅人を泊める旅籠がたくさんありました。時代が下るにつれ交通量が増えると、宿場間で客の取り合いとなり、旅人の夜の相手を務める女郎を置くようになりました。この女郎のことを飯盛女と言い、飯盛女のいる旅籠を飯盛旅籠といいました。飯盛女は読んで字のごとく旅人の給仕をする女性ですが実態は女郎です。なぜこんな呼び名になったのかというと、お上をごまかすためなのです。
幕府は宿場の風紀を正すため、宿場での女郎の数を厳しく制限しました。例外はありますが飯盛旅籠一件につき2名が基本でした。しかし宿場にとっては女郎の数が宿場の繁栄、引いては財政も左右することから何人でも女郎は欲しい。そこで女郎を飯盛女(給仕係)と偽って置いていたのです。ですから飯盛女といえば女郎なのです。なぜそこまで女郎が重要だったかというと、背景には当時の旅が公用であれ私用であれ、旅は男性がするものだったからです。女性は「入り鉄砲出女」と言われるように、幕府は女性が関所を越える際に厳しくチェックするなどして結果的に女性が旅をしにくくさせていたからです。女性が男性並みに旅をするようになったのは江戸時代も後期になってからの話です。
 
 千鳥と都鳥が女郎だったと言っても、伝説に描かれている様子からは不幸な女郎というイメージはあまり感じません。2人は幼いころに親に捨てられ、宿場の人に育てられ、その養親が死んで残した借金のために柳屋に買われたことになっています。しかし、元々柳屋に拾われ育てられ、柳屋の主人が病弱だったため借金がかさみ、自ら進んで女郎になったという説もあります。似たような話ですが、流されるままに女郎になったのと自ら進んで女郎になったのでは大きく違います。どちらが正しいのでしょうか?
女郎となった姉妹はたちまち評判となりました。柳屋の主人としては、これから稼げる限り稼いでもらいたいと思うのが常識ですが、彼は材木屋の若旦那との交際と婚約をあっさり認めてしまっています。また、徳次郎が横恋慕し、再三脅迫を受けても千鳥を守ろうとしています。借金の方に取った女郎なら、金さえ積めば悪党だろうと何だろうと引き渡してしまってもおかしくはないのに、それを言を左右にして引き延ばしています。やはりこれは柳屋自身が姉妹の育ての親だったように思います。柳屋は幼い姉妹を引き取って育てた。しかし彼は病弱なために借金がかさんでしまった。姉妹は育ててもらった恩を返すために自ら進んで女郎となった。こんな関係が浮かんできます。
 柳屋にとっては姉妹は実の娘も一緒。姉妹にとっては柳屋は実の親も一緒。お互いどんなことをしても助けたかったに違いありません。柳屋は千鳥を幸せにしてあげたかった。材木屋の若旦那と一緒にさせてあげたかった。そんな千鳥をなかば殺されたような形で失ってしまったのです。悲しみはいかばかりだったでしょう。また、婚約者を失った若旦那もしかりです。そしてさらに大宮宿の人々にとっても同様だったはずです。
 千鳥の自害は大宮宿の人々に大きな衝撃と悲しみをもたらしました。やがてそれは恨みとなって徳次郎に向けられることになります。徳次郎の横恋慕は盗賊団の壊滅と人生の終焉へとつながっていったのです。

次号へ続く

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