2021年2月6日土曜日

赤山街道を歩くー大宮道編

 

赤山陣屋を起点とし3つの街道を赤山街道と言います。

昨年の10月20日~12月20日の間、鳩ケ谷の郷土資料館で「みちとの出会い赤山街道」展がありました。それを見て大いに刺激を受けた当会歴史部は、3つある赤山街道を歩いてみることにしました。(去年だけど)
郷土資料館から頂いたパンフレットとマップ。

赤山街道は大宮道、越谷道、千住道の3つがありますが、まずは大宮道から歩くことにしました。10月の天気の良い日、起点である赤山陣屋に行きました。ここから旅が始まりますが、貰ったマップでは、おおよその道筋は分かりますが詳細には分かりません。そこで何かわかりやすい地図がないか探したら、「GPSCycling」というサイトを見つけました。このサイトは日本の旧街道を、グーグルマップかLeaflet地図に、下記のようにラインを表示してくれるので非常にわかりやすいです。しかもGPS機能付きで、自分が何処にいるか分かるので、全く迷うことがありません。この地図のおかげで不安なく旅が出来ました。
GPSCyclingの地図画像

GPSCyclingのサイト↓

大宮道の起点は、上の地図の「陣屋敷」と書いてある辺りのクランクの所に、「新町口」という門があった場所です。現在はイイナパーク歴史自然資料館口に当たります。大宮道はここからさいたま市西区の永田陣屋まで通じています。永田陣屋までは17キロありますが、中仙道を過ぎると何にもないので、大宮宿までの約15キロ歩きます。
まず、新町口を北西に進むと、すぐに日光御成道に突き当たります。それを北に進みます。すぐに右手に真乗院があります。ここは将軍の日光社参の時に休憩所になったこともあるお寺です。天然記念物のコウヤマキなど見どころがあります。
ここでのお気に入りはこの閻魔様。恐ろし気な表情がナイス!
日光御成道沿いの有名な古民家カフェの「千木屋」の手前の左手にある細い道が大宮道で、現在は国道122号線で分断されていて、横断歩道で渡ります。
真下に122号線が通っています。ここに横断歩道があるのは、道路敷設当時は地域に欠かせない道だったからではないでしょうか?
横断歩道を渡り、そのまま西に進むと吉場安行東京線と合流します。木曽呂という地域に入ると、右手に阿弥陀堂というお寺があります。ここは伊奈氏菩提寺の赤山源長寺の末寺だそうです。
更に進むと右手に木曽呂の富士塚があります。県内最古の富士塚だそうです。

ルートを少し北に外れますが、この辺りは国指定史跡の見沼通船掘です。この史跡は享保16年(1731)、井澤弥惣兵衛が見沼代用水を開削したときに、芝川ー見沼代用水の舟運を図るために作られた閘門式運河です。距離は短いですが、芝川ー見沼代用水の高低差を、2つの関で水位を調整して、船の通行を可能にした画期的な施設です。近くには水神社や、見沼通船を差配した鈴木家の住宅が残っています。
通船掘り付近の地図。赤山街道より上、東西の見沼代用水に挟まれた低地が見沼田んぼです。見沼代用水が出来るまでは、見沼田んぼは巨大な溜池でした。東西の見沼代用水の外側は台地になっていて、ここが一番低地が狭かったので、寛永6年(1631)に伊奈忠治がここに堤を築きダムにしました。見沼代用水が出来るまで、その水を下流の田園地帯の用水にしていたのです。この堤は八丁(870m)堤と言います。赤山街道大宮道はこの堤の上を通っています。
芝川です。芝川は見沼田んぼと東西見沼代用水の排水路として井澤弥総兵衛が開削しました。これによって広大な見沼田んぼの干拓が出来ました。
八丁堤からほどなく東浦和駅に着きました。ここまで割と高低差がありましたが、ここから先は高低差がほとんどありません。
大間木の氷川神社。左が大宮道。
氷川神社からほどなく清泰寺があります。ここには武田信玄の次女の見性院が眠っています。
見性院は武田信玄の家臣の穴山梅雪の正妻でしたが、梅雪の死後徳川家康の庇護を受けて、大牧の地を領地として与えられました。
大宮道は大宮台地の上を通っていますが、ほとんど平坦で勾配を避けています。道の左右がときおり低地になっていて、ルートを選定した伊奈氏が、人の往来だけでなく輸送も考えていたことがわかります。
大宮道は他の赤山街道(千住道・越谷道)とは違い、道路幅も当時と同じところが多く、道脇に庚申塚などが散見され、古道の趣があります。

大東の富士塚。そばの交差点には道標があり、「右 江戸・はとがや 左 大宮・与野」と刻まれています。
富士塚の上で小休止。
上木崎の公園。ここに興味深い解説版がありました。
赤山街道の解説版で、現在地は与野の少し手前。
「赤山街道は、関東郡代伊奈忠治が江戸時代初期に築いた赤山陣屋に通じる道で、~略~、現在地を通る赤山陣屋までのまでの道筋は坂がなく、年貢米などを運ぶのに都合が良いと言われています。また、諸藩役人の通行や御用状の継立も多く、荒川が出水し、戸田・川口が川止めになった際には、中仙道から赤山街道に入り、千住大橋を渡り江戸に向かったといいます。」

荒川渡船が氾濫などにより川止めになった場合、大宮宿から赤山街道大宮道を通って千住大橋を渡った理由は、千住大橋が荒川に掛かる唯一の橋だったからです。大宮道は、大宮宿から千住大橋まで最短距離で行ける近道なので、荒川川止めの際は極めて便利な迂回路だったのですね。ちなみに千住大橋も初代伊奈忠次が掛けた橋です。

与野の手前から商店街のような趣になりますが、ここは赤山通り商店街と言うそうです。
レトロな酒屋がありました。
与野駅の手前、針ヶ谷で中仙道に合流します。北上するとすぐに大宮宿に入ります。
合流部にはかつて立場茶屋があり、関東六国の山々が見渡せる見囃子の様場所だったそうです。
大宮の武蔵一宮氷川神社の参道。日本一長い参道です。かつて中仙道はこの参道の東側にありましたが、寛永五年(1628)に伊奈忠治が今のように東側に付け替えて大宮宿の基礎を作りました。大宮もまた伊奈氏とゆかりが深い土地です。

ちなみに赤山街道大宮道をそのまま西に進むと永田陣屋跡にたどり着きます。永田陣屋は新田開発の拠点として築かれましたが、後に家臣の永田氏が拝領しました。永田氏は伊奈家の代々の重臣でした。

大宮道の旅はこれまで。越谷道・千住道については次回報告します。では。


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